能登の未来

FUTURE

のとはひと

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投稿者

辻元洋子

慣れない窮屈な避難所暮らしで、3歳の息子が騒ぐ度に、迷惑をかけないように体育館から出て、廊下を行ったり来たりしている私に「子どもの泣き声はみんな元気をもらえるから、気にしなくて大丈夫ですよ」とお姉さんが声をかけてくれた。
避難所でまだ食料も届かないのに、知り合いのおばあちゃんが家から持ち寄ったお餅を焼いて分けてくれた。
地震後、初めて自宅の様子を見に帰った時。
消防士の夫が仕事で帰って来れないことを知っている隣のおじいちゃんが、「力いることあったら手伝うし言えや」と来てくれた。
スーパーの駐車場で出会ったおじいちゃんが、車で寝ている息子に気付いて「ねんね寝とるんか。顔見たらホッとするわ」と笑顔を見せてくれた。
あんなにも辛くて苦しい経験をしている時も、能登で出会う人はみんな相手を思いやり、優しくて温かかった。
どこへ行っても知り合いがいて、みんな顔見知りで…
そんなこの場所が窮屈だと思うこともあった。
でも、助け合える人がそばにいることが、こんなにも心強いことだと改めて感じることができた。
晴れた日に見た海は、水面に雲が映り、海底が見えるほど透明で、地震前と変わらない能登の海だった。
壊れた道路や家が新しくなり、町も今とは全く変わっていったとしても、ここに住んでいる人の心や優しさ、たくましさはこの先もずっと変わらず、私の出会った能登の人々のようであってほしいと願う。

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