能登の未来

FUTURE

“典座”とともに。100年後も能登らしさが残る土地として守っていきたい

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投稿者

坂本信子

珠洲市三崎町伏見に住む坂本信子さんは新潟県出身。珠洲焼作家である市郎さんと東京の展示会で出会い珠洲へと嫁いだ。2005年より築約200年の自宅を改装し古民家レストラン「典座(てんぞ)」を営みながら、その他に2軒飲食店を営んでいた。地震当日はそのひとつである珠洲ビーチホテルの食堂でお客様を迎える準備の最中で揺れに襲われた。

「地震直後は息子と高台に避難しその日は車中泊。その後、公民館に自主避難所を構えて過ごしました。自宅を確認しに行ったのは1月3日になってから。すぐ戻る勇気がなくて。地震の時にいた8階建てのホテルでさえ崩れてしまうんじゃないかというくらい揺れたのだから、築200年の自宅は絶対に残っていないだろうなと。でも、駄目だと思いながら歩いて坂道を登ると、瓦も落ちることなく“すっ”と建っていている母屋が目に飛び込んできました。その日は晴れていて、と言っても能登の晴れというのは雨の降っていない曇り空でも晴れっていうんですけど(笑)。その空も含めて珠洲ってすごいなぁと、畏敬の念を抱きながら家を見上げていたのを今でも思い出します」

―坂本さんが描く100年後の能登・珠洲とは
「自分は観光業をしているので県外から来る人から能登っていいよね、と言われその良さをあらためて気づかされる機会があります。黒瓦の家が連なる光景も自分にとってはごく日常であったのだけど、他の地域にはない珍しいものだったり。またそのうしろに山があって振り返ると海があって。そういった当たり前のようにあった能登らしさをこれからまた同じ規模で作り直すことはできないかもしれないけれど残ってほしいなと思います」

坂本さんは2月より「典座」の営業を再開し、今までと同じ珠洲を取り戻す生活を始めている。また、この先もこの地に残り続けていくという。
「どうしてこの築200年の建物が助かったのか理由ははっきりとはわからないです。けど、ここにこの建物が残った役割、自分が新潟からここに移り住んだ役割、きっと何かあるのだと思う。200年残った建物なのだから100年後も残るように守りたいという気持ちもあります。私が1月3日にこの家を見上げながら感じた畏敬の念のような、なんかうまく表現できないのだけれど、ここに残る他の人にとってもこれから先、生きていくうえでの軸となるものが残されていく土地であってほしいと思います。それは家なのか、職業なのかそれぞれ違うかもしれないけれど」
珠洲に残ると決めた坂本さんが1月3日に見上げた典座の姿。そこから坂本さんが描き広がる景色はきっと100年後の珠洲・三崎町の新しい姿と同じなのであろう。

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