能登の未来

FUTURE

100 年後も続くであろう輪島塗。受け継ぐ若い人の応援をしていきたい。

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投稿者

吉田ひとみ

吉田ひとみさんは輪島生まれの輪島で育ち。輪島塗師の夫、宏之さんと出会い、輪島朝市通りで輪島塗のギャラリー 「La Quarta」を営んでいた。ギャラリーでは宏之さんの作品のほか、複数の若手作家の作品を取り扱い、県内外から訪れる人々に輪島塗の魅力を伝え日々を過ごしていた。「実家は輪島塗と関係ない家だったから、家に輪島塗があってもそれは常に箱にしまわれている特別なもので、お値段も高くて扱いが大変そう、そういうイメージだったの。でも、結婚してからは輪島塗を作っている家だからお味噌汁のお椀やお皿、なんでも普通に輪島塗を使っているんですよ。そうすると輪島塗の良さが発見できるんです。お味噌汁みたいに熱いものを注いでもお椀が熱くならないし、口当たりも柔らかい。器のおかげで食べ物がおいしくなる。輪島塗を知らなかった人、知って良さに気付いた人、両方の気持ちがよくわかるんです」
工房を兼ねる自宅は全壊、ギャラリーは朝市通りの火事によって全焼となった。「地震の時は主人とふたりでね、お正月だし、もう早めにおせちを食べようってなって準備をしたら大きな揺れが起きて、その直後に大津波警報が出たから高いところに逃げなきゃと思って着の身着のまま逃げて。そこですぐに朝市の方から火事が出たらしいと聞いて、高台から朝市のほうを見たら赤いものが見えたんだけど、直後はまだ他人事に見えていて。 朝市に確かめに行ったのは1日から2日にかけての夜、燃えている最中だけど、この目で見ないと信じられなくて。でも 近寄ることはできなくて、火事の様子とお店の位置を照らし合わせてきっと完全に燃えてるなと納得して帰ってきた。今も 朝市通りに行くと胸がぎゅーっと痛くなります。でもあれが現実」
高台に避難した後は輪島消防署に移動するも近くにある別宅を思い出し、余震の恐怖もあったがそれ以降はそこで宏之さんとふたりで避難生活を始めた。今後は避難した今の住まいを仮工房として稼働させ、もとの工房のあった自宅を工房兼ギャラリーとして再建していく予定だという。「今度はね、作業風景が見られるカフェとかも作って、輪島塗がもっと身近なものだと伝えていきたい。主人も今年63歳だからいつまで上塗りの仕事をできるかわからないけれど、その後はだれか継いでくれたらと思ってる。けど今は地元の 若い人は少なくて。でも意外とね、輪島塗に興味を持って県外から若い人達がやってきてくれるのよ。その子たちが生活に不安なく輪島塗に打ち込めて、生活していけるように応援していきたいな、と。輪島塗は室町時代からあったと言われてるの。そんな数百年続いたものだから 100年後も続いて欲しいし、続くと思う。でも続くためには作る人を大事にしなきゃでしょ。そのためにまずここで主人の作品を作ることで基盤を作って、また以前と同じように若手さんの支援をしていきたいな」ひとみさんの輪島塗への温かい思いは今後、誰かが受け継ぎ100年後、誰かが輪島塗を手に取ったときに温もりとして伝わっていく。

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