能登の未来
FUTURE
投稿者
瀬戸恵介
私は、東日本大震災と今回の能登半島地震の双方で被災しました。実家がある輪島も甚大な被害を受け、今の能登は何もかもがなくなってしまったように感じます。ですが、同じく被災した東北が復興したことも知っております。ですので、これからの能登にも希望の光が差すことを確信しております。
また、震災に対する社会のレジリエンスは、かつて以上に高まっている一面も見られます。例えば、東日本大震災の際には、約40日後にクラウドファンディングが立ち上がりました。一方で、今回の能登半島地震においては、「Readyfor」を中心としたクラウドファンディングが、地震の後に程なくして立ち上がりました。災害は社会に大きな爪痕を残す一方で、社会を前進させる側面も持ち合わせているのでしょう。
これからの長期的な復興のためには、今後も能登への継続的な関心を引くことは、必要不可欠です。今回の地震を受け、能登の居住人口は恐らく減ることでしょう。ですが、現時点では石川県や能登に関心を持っている人は、むしろ増えているのではないでしょうか。ところで、その地域には住んでいないものの、中長期的にその地域に興味を持ち続ける人口のことを関係人口といいます。私は、この関係人口を増やすことが、復興への鍵を握ると考えております。金沢や能登に観光に来る人は、決して少なくはありません。石川県の伝統や文化、古き良き町、豊かな自然を好きな人は大勢いるのです。ですが、そういった観光人口は石川県とは短期的な関わりで終わってしまいがちです。中長期的な関係を作るためには、そういった観光人口を超えて、関係人口をどれだけ増やせるかが重要となることでしょう。
それでは、いかにして関係人口を増やすか?それは、人を通じてこそ成し遂げられるのではないでしょうか。地元に住む多くの人にとって「やりたいことがある」、そして地元以外に住む人にとっては魅力的な「会いたい人がいる」。能登が食や自然といった観光資源に加えて、人こそが最大の魅力となるような地域となれば、能登への関心は、今だけの一時的なものにはとどまらなくなることでしょう。
そして、そのような魅力に溢れた人々を育む上で、教育は決定的に重要なものとなるのではないでしょうか。ところで、私の祖父と父は煎餅屋を家業としておりましたが、そのルーツは長崎は五島の麺文化にあります。その麺文化は北前船を介して、輪島に素麺として根付きました。そして、素麺を作る際に余った生地や切れ端を天日干しにして食べていたそうで、それが後の輪島煎餅に繋がったそうです。他にも、総持寺の輪番制が曹洞宗のみならず輪島塗を全国各地に広めたことや、珪藻土を多く含む能登の土が輪島塗の堅牢性や珠洲七輪の保温性を生み出していることなど、私達の生まれた地はとても面白い歴史や文化の上に成り立っています。その面白さを知らずに、若者が能登を離れてしまうことは、あまりにも惜しい!仮に、彼らが大人になって能登を離れてしまうとしても、自分の育った町を誇りに思ってくれていれば、離れた場所からでも能登への貢献のカタチを考え、そして実践してくれることでしょう。私が能登に望むことは、「自分の育った町を誇りに思える若者」を育む地域であるということです。そのためには、若い世代が「こうしたい!」「やってみたい!」と思えるような場を作ることが大切でしょう。伝統が若者の感性により新しき歴史を作っていく様を、温かく見守りたいと思います。
かつて東北の復興を目指していた際に、私は様々な方との繋がりができました。その時の繋がりを、今度は能登の人へと繋げたら、私としては本望です。能登に関心のある人と、能登の人とをつなげることが、自分の使命ではないかと考えております。そして、若者が誇りを持てる能登にすべく、できることを考えて実践していきたいと、強く思っております。 最後までお読み下さり、ありがとうございました。