能登の未来

FUTURE

能登の里山里海が私にくれたもの

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投稿者

松本恵

珠洲に嫁入りして14年。
兼業農家に嫁いだ私は、右も左も分からず、教わりながら人生初のお米作りを始めました。

主人は長男ですが、若い頃は田舎を出たくて仕方がなかったそうです。
でも父親が早く亡くなり、否応なく実家を継ぐことになりました。
私にとっても思わぬ転機でしたが、お米作りはとても楽しく「こんなに尊いことなのか!」と感動の連続でした。

一粒のお米から、こんなにも豊かな実りがあること。
田んぼの中の小さな生き物達も生き生きとして、「うちの田んぼにもトキが遊びに来ないかな」と想像したります。
そして、農家の庭先には必ず実のなる木が色々植えられており、季毎に梅を漬けたり柿を吊るしたりします。

そんな里山の暮らしを通じて、
「生きることは食べることだ」
と、心から実感しました。

農業は大変なことも沢山あります。
でも、人間ができることを全てやったら、あとは自然にお任せなんです。
旱魃も洪水も地震も、人間がコントロールすることはできません。
だから謙虚にもなれるし、毎年の恵みに感謝する気持ちがより一層深まるのです。

そして何より食べ物を自分で育てることには、安心感と充実感があります。
震災を経験するたびに、「とにかく生きていれば何とかなる!」と思えています。
私は、この道でよかったと心から思っています。

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今回の地震で、わが家は準半壊でもう住めません。
納屋は大切な農業機械ごと潰れてしまいました。
そして、田んぼのため池は崩れ、水路も寸断されました。

私はまた田んぼをやりたいけれど、主人はさすがに「もうやめる」と言うかもしれない…
そんな風に思っていたら、「田んぼを復活させる」と主人の方から言い出しました。
本当に嬉しかったです。

2人の目標ができたので、できることを探して何でもやるつもりでいます。
今日はそのために、主人が重機の免許を取りに行っているんですよ。
まずは、水路を自分達の手で直すんです。

今は二次避難を余儀なくされていますが、私達は必ず珠洲に戻ります。
そして、また夢を描きながらお米を育てます。

振り返ると、2021年の地震を経験して以来、「人生はいつ何が起きるかわからない」と肚を括ったところがありました。
あれから能登では何度も何度も地震が起きて、今回は最大級でした。
そして、今後もまた地震はいつ起きるかもわかりません。

でも、毎回「起こったことはしょうがない」と思えるのです。

もちろん気持ちが沈むことも、頭を悩ませることもありますが、
「さあ、ここからまた何ができるかな?」と、逆にゼロから考えることもできます。
これからの夢を描くと、ワクワクするのです。

へこたれない心を育ててくれたのは、能登の大自然です。
14年間、珠洲でお米を育てさせてもらったおかげで、私は謙虚になれたし逞しくなりました。
この豊かな里山里海に囲まれてこそ、私達は生かし生かされているのだと感じることができます。

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今、日本中から能登のためにボランティアで来てくださる方が大勢います。
能登は土地柄か閉鎖的なところもありますが、この震災をきっかけに開いていくことも大切だと感じています。
避難所での新しい出会いも沢山ありました。

苦境の中でも人と人が温かく繋がれることが、こんなにも心強く嬉しいことか、と感動しています。

「能登に来てよかった」
「これからも能登に関わっていきたい」

皆さんにそう思ってもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。
これからは能登を愛する全国の皆さんと一緒に、能登らしさを大切にした復興ができたら素敵です。
まさに、この「能登乃國百年之計」もその一つです。

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最後に。
この豊かな里山里海が残る自然環境は、全国に誇れる能登の宝です。
100年どころか1000年続くことを願ってやみません。

人が作ったものはまた作れますが、自然環境は作り直すことができません。
必要以上に、コンクリートで固めすぎないで欲しいです。

私達が失ったものは大きいけれど、きっとできることはまだまだあります。
今あるものにしっかりと目を向けて、力を合わせて能登を復興していきましょう。
生きるために必要なものは、全てここにあるのですから。

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