能登の未来

FUTURE

縁が育んでいく居場所

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投稿者

林原穂波

私は、100年後の能登が、縁が育む、みんなの居場所であってほしいと思う。
縁は、被災前後でも変わらず残り、これからも紡いでいくことのできる再興の種だからである。建物や、街並みは変わってしまったが、そこに住まう人と人同士の縁が続いている限り、元とは違う形であっても、その土地に住まう人が愛着を持って、幸せに暮らしていける居場所となると考えるからだ。
私は、富山大学芸術文化学部建築デザインコースの4年生で、建築を学んでいる。昨年1年間、卒業制作のため、石川県輪島市で、ヒアリングや実測、ワークショップなどの調査を行い、今年、設計を完成させ、2月には展示を行った。私の卒業制作のテーマは「石川県輪島市本町通りと周辺小路における子どもの居場所」である。「朝市通り」で知られる本町通りから海に向かう途中に見られる「小路」は、これまで輪島で育まれてきた暮らしの息遣いが滲み「安心感」と「親近感」が滲む、小さな世界である。また、輪島をはじめ、全国的にも、少子化を理由に、子どもたちの多様な性格に対する多様な居場所が減少しており、不安定な心のまま、大人になってしまう人が増えている。そこで、光や風、影の重なりから、様々な装いを見せる小路に、子どもたちの居場所や、居場所が広がっていくような場所を配置し、限定的なコミュニティに留まる、子どもたちの環境を、再び街に点在させ、広げていくことを提案した。
 私が「居場所」に着目したことには、街のスケールでの観点も含まれている。街での体験をもとに、居場所が広がることで、場所を離れても「心の居場所」として、その場所に戻ってきたり、次の子どもたちへ、新たな居場所を設ていったりするかもしれない。「居場所」と感じられることが、空洞化していたまちを、コミュニティに溢れ、誰もが幸せと生きがいを感じる街になる連鎖のきっかけになると考えた。
能登全体が被災し、姿を変えてしまった今、元々住んでいた人が、土地を離れ、「自分たちの居場所ではない」と感じてしまうようになることが、最も、危惧されるべきことではないかと感じる。それは、建物などの物理的な環境に対する起因かもしれないし、前述した、「使命感」や「安心感」といった「居場所感」に起因するかもしれない。建物の再建が、時間を要するものであることを考えると、まずは、「使命感」や「安心感」を感じられるような環境、コミュニティの構築を行っていくべきであると考える。
私自身、被災後の輪島での活動は、元々の輪島での縁を元に活動を行っている。被災以前に、お世話になり、調査に協力してくださった現地の方々が声をかけてくださり、こうした関係から、輪島のまちづくりに関する取り組みに、積極的に関わり、臆することなく行動ができるようになった。街並みは変わっても、「縁」が続き、繋がっていく限り、何度でも美しく輝かしい街は戻ってくる。確信を持って言えます。

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