能登の未来

FUTURE

能登が輝くその日まで

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投稿者

表香菜子

 能登半島地震により、大切な人を亡くし、そして生まれ育った家が全壊し、ここはどこだ?私はいまどこに住んでいるのかと、思い悩む日々が続いている今。私は4月から大学生として新たな生活を始めます。私の故郷珠洲市は、いまだ上下水道の復旧が見通せず、制限を余儀なくされた避難所生活が続いています。私の家族もまだ避難所で生活しており、トイレやお風呂にもなかなか以前のようにはできず、毎日が地獄のような生活です。ですが、少しずつ他県から来てくださっている災害ボランティアの方々の支援や自衛隊の方々の復旧作業。土木業者による道路の整備。様々な方面で珠洲市を少しずつ復興してくれている方々がいるのを忘れてはいけません。
 私の家にも災害ボランティアの方々が来てくださいました。想像を超えた人数の方々が来てくださり、とても皆さん優しく声をかけていただいて、私たちではできない家財道具を運んでくださったり、雨漏りでカビが生えてしまった畳を運んでくださったり、感謝してもしきれないほど、家を綺麗にしてくださいました。そして、開かなくなっていた戸や割れたガラスのヒビに応急手当もしてくださり、懸命に働き被災者に寄り添ってくださる素敵なボランティアの、方々だと思いました。
 私の家にはピアノが置いてあり、私は保育園の頃から習っていて、中学校から高校生まで部活動で吹奏楽部に入部していました。珠洲市の吹奏楽団でも演奏させていただいた経験があり、音楽はとても好きです。なので、ボランティアの方々が活動している最中に、久しぶりにピアノを演奏しました。365日の紙飛行機を演奏したのですが、ボランティアの方々全員が手を止めて演奏を聞いてくださり、とても緊張しましたが、みなさん「心があったまって、嬉しい。」「音楽は素敵ですね。」と口々に感想を伝えてくれました。やはり誰しも、音楽は心を和ませてくれるプレゼントなのだと思いました。
 この未曾有の災害がもたらした発見。私は音楽だと思います。以前のように、大人数のお客様の前で演奏し、帰り際には「いい演奏やったぁ。」と声を揃えて伝えてくれる。そんな環境をもう一度作り上げたいと考えています。はじめから大人数でやるのではなく、少しずつ少しずつ、人を増やして、笑顔あふれる珠洲市をもう一度取り戻したいと考えています。100年以上かかるかもしれないこの復興。ですが、何年かかっても、この自然あふれる珠洲の地で音楽で笑顔あふれるそして、地域の方々がいつまでもここに住みたいと感じることができるように。

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