能登の未来

FUTURE

復興から未来へ

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投稿者

岩崎乃樹

 1月1日母の実家である北海道にいた。正月だからと従兄弟と神社に初詣してるときだった。携帯に地震速報がきて唖然とした。すぐに大津波警報がきて何か色々な感情や今までの思い出など全てが一瞬にして奪われるような感覚に襲われた。遠くにいて何もできない自分に少し腹がたった。私の家は先祖代々輪島で暮らし自分で8代続いている。次の日、私は大学に戻るのではなく、家族で輪島に帰る事に決めた。今でこそ大学生になり神戸に住んでいるが輪島が大好きだった。祭や景色、近所付き合い等、大学の人と話して田舎くさいと言われるがそれが好きなのだ。祭の時や連休にしか帰れなくなったが、自分も卒業したら輪島に残って当たり前に生活していくと思っていた。いや、みんなもそれが当たり前と思っていて、ずっと続くものだと思っていた。地震よって変わり果てた町、生活も何もかもが壊されたように感じた。きっとこんな言葉では地震や津波の酷さ、惨さは伝わらないと思う。でも、これからは先のことを見ていかなければならない。もちろんすぐにだ、なんて無理だ。だけどこれから10年、100年先に輪島に住む人が地震なんて言葉を普段の生活に感じて欲しくはない。今まで通り楽しく賑やかな輪島であって欲しい。いつもおかえりと言ってくれるおばちゃん、公園で楽しそうに遊ぶ子供達、祭でみんなで集まり、こんな事があったねと楽しくできたら幸せだと思う。電気や水も来ておらず家にも入れない状態だった。祖父母は避難所生活をしていた。しばらく車中泊をしていたが親の勧めもあり大学のある神戸に戻った。能登半島から離れる度に思う「今まで通りの生活」という言葉。輪島では大変な思いしているのに何故この人達は平気な顔して生活しているんだとしばらく思う事もあった。自分はこちらから何をできるか。いろいろ調べたが、余計に今回の被害の酷さをしり途方にくれた。講義を休んだ手続きの為に大学に行った折、係の方と地震の事について話をした。その方も阪神淡路大震災を経験し、最初は他の場所とのギャップに苦しんだそうだ。そこで自分は気づいた。このまちも昔は震災を受けてたんだ。そこから復興していったんだと。神戸に来てもうすぐ1年にもなるがそんな事気にせずに今まで生活して来た。その震災から今年で29年、確かに神戸は復興を遂げている。人々は普段通り生活が送れている。輪島も今は苦しい時期だが10年、30年後には前の様な生活、いや復興を遂げより良くなった輪島で生活していけるようになって欲しい。
 いつかまた帰って来た時にみんなで笑い合えるよう、そして1つしかない地元輪島をもっと誇れるよう、輪島の将来の事を我々が考えていかなければならない。その時には私もその一員でありたい。

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