能登の未来

FUTURE

そのままであること。

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投稿者

古原遥奈

 2024年1月1日16時10分、マグニチュード7.6、最大震度7。能登半島地震により私たちの生活は一変した。
 当時私は輪島市にある実家に帰省しており、市内にある父の実家に新年の挨拶に向かうために準備をしながら祖父母、姉と共にテレビを見ていた。震度7の揺れの前に小さな揺れがあり、テレビでは珠洲市で震度5だと速報が流れた。「ああ、またか。」くらいの気持ちで速報を眺めていたが、その後大きな揺れを感じた。私と姉は大きなテレビと灯油ストーブを抑え、祖母はこたつに、祖父は柱につかまって壊れていく部屋を呆然と見つめていた。揺れが収まり外に出ると、景色が一変していた。家の前の駐車スペースは崩れ落ち、ガラスが散乱していた。
 こうして当時の一瞬を思い返してみて、いまだに本当に自分の身に起きたことなのかと夢だったように感じる。地震の1週間後、土砂崩れによって孤立していた私たちの集落の人々は自衛隊のヘリにより救出され、次の日には私は大学のある福井のアパートに戻っていた。アパートで1人でいると、地震の前の生活との変化を感じることは殆どなく、より地震があったことが非現実的なものに感じた。
 人間は忘れる生き物であるというが、今回の地震で忘れることがとても怖くなった。揺れの中過ごした1週間を現実として捉えてられていない部分が自分の中にあり、昔読んだ本やドラマの内容を忘れたように、この記憶もいつか忘れてしまうのではないか。しかし、忘れてはならないのである。語り継いでいかなければならないのである。輪島がいかに美しく、美味しい食べ物、人々の優しさで溢れた街であるかを知っているのだから。
 100年後、輪島が美しい街であったことが伝わっていて欲しい。叶うのであれば、地震以前の、私の思い出の詰まったまちのままでいて欲しい。きっと100年間で新しい技術や文化が形成され、昔のままであることは難しいのだろうけれども。自分でも我が儘な考えだとは思うが、壊れてしまったからこそ、よりあの景色が恋しく、地震以前の風景がそのまま100年後にも残っていることを願う。

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