能登の未来

FUTURE

日本のふるさと

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投稿者

坂本悠輔

 2024年1月1日の日も私は帰郷しており、震災を受け、避難所生活を送ることになりました。そこでは、正月の団らん中に家が半壊し、気持ちの整理がついていない私を受け入れてくれる地域の皆様がいました。地震で皆、家が滅茶苦茶になっている中、お互いに使える物資を持ち合い、鍋をたき、協力して自衛隊の支援が来るまで生活していました。皆暖かく、お互いのことを気遣える関係はまるで家族のようでした。その時、豊かな里山里海の幸、雄大な自然がある能登半島が育んだこの人間の暖かさは、絶対に私たちの世代が受け継いで後世に残すべき物だと思いました。
 そこで、私は100年後の能登半島に「日本のふるさと」であってほしいと考えます。現在、大学にて工業を学んでいる身ですが、現代社会は便利化を追求しすぎていて、人とのつながりが減るなどの要因で社会で感じるストレスが以前より増している状態であり、そして、これはAIやIotの技術発展が加速する今、より一層増していくと考えています。そんな社会で疲れた人々を受け入れ、輪の中に入れて人間のぬくもりを感じる、そんな場所として私の故郷が機能していったらいいなと思います。具体的には、地域各地のイベント等を通して地域の方と観光客との対話を楽しめるような体験型観光産業の発展です。まさに震災前の輪島の朝市や、キリコ祭りなどがそうではないでしょうか。今、地震で輪島の朝市は焼け、キリコ祭りも行えない状況ですが、復興し100年後も残るような形になるといいなと考えています。地域住民だけでなく、その輪に移住者も組み合わさり、新しい朝市、キリコ祭りなどのイベントが進化、発展することで人のつながりの温かみを伝える場所が未来に残されていくというのが理想です。
 また、能登半島は、過酷な日本海によって生み出される絶景が数多く存在します。これもまた、100年後の「日本のふるさと」には欠かせない物です。津波、土砂災害によって被害を受けた地域は数多くあります。しかし、これを怖がって大きな防波堤等を設置して景観を崩すのは、観光の楽しみがなくなるだけでなく、後世にこの素晴らしい景色を残せないこととなります。ですが、それと反して、安心して住めるという事は移住者にとっても、地震で避難している人にも大きなアドバンテージです。100年後の能登半島には、この二つを両立できるようなまちづくりが進んでいるといいなと思います。
 最高の景色を楽しめ、人のぬくもりがある場所、能登半島として100年後の孫、ひ孫に僕の故郷能登半島を受け渡したいと考えています。

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