能登の未来

FUTURE

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投稿者

加藤壮大

 2024年1月1日、あの日のことは一生忘れることができません。元旦夕方の長閑さを引き裂くような轟音と大きな揺れ、鳴り響く警報音、逃げ惑う人々と崩壊した街並み。ここで僕の人生は終わってしまうのではないか、そう思わざるを得ないほどの恐怖を感じました。そんな悪夢のような日からもう2か月ほどの時間が経ち、被災地では電気や水、道路などのライフラインとインフラの復旧が進み徐々に今までの日常を取り戻しています。しかし、輪島の朝市の焼失、地盤隆起に伴う港の機能停止、見附島の崩落などをはじめとして能登の産業、観光業にはいまだに大きな傷跡が残っています。おいしい料理や豊かな自然が能登の大きな魅力だというにもかかわらずこれらが深刻な痛手を受けているという事実は能登の復興を大きく阻むものだと考えます。僕自身大学生になって改めて能登半島の観光地を訪れて全国各地の名所と比べて引けを取らない自然の雄大さや歴史を感じ取ることができたことをよく覚えています。このように、住んでいたからこそ思いをはせる時間も少なく忘れかけていた地元のすばらしさを能登から一度離れたことで思いだした方も多いのではないでしょうか。しかし、そんな魅力をもった地でも正常な機能を果たしていない場所に進んで戻る人はどうしても限られてくるでしょうし、高齢者が大半を占める集落の再生はとても厳しいものになると感じます。そこで一部の地域に人々をまとめ、昨今うたわれているようなコンパクトシティのような形をとりそこに住む人々と行政が協力して産業や観光地の再生・保全に携わり100年後も変わらず豊かな文化・自然を体感、提供できる場所であってほしいと思います。また、能登のもう一つの大きな魅力として人の暖かさがあると思います。地震直後にトラックに乗り津波に備えられる高台の場所を教えて回っていった方々、家に取り残された独り身の高齢の方の手をとり避難を促す方々、暗い雨の夜に屋根にのぼって瓦の補強を行ってくれる方々、数少ない食料を分けてくださる方々など、地震直後の数日は今までで一番人間の本質的なやさしさに触れた期間であったと思います。また幸か不幸か元旦という若者が帰省している時期に地震が起きたということでそのやさしさに触れたものも多く、同年代で休学・休職して復興の手伝いをするという選択肢をとる者も多くいました。このように人の暖かみはゆっくりとでも確かに次の世代へと継承されていると感じました。以上より「能登半島が100年後どのような場所であってほしいか」という問いに対して答えるとするならば能登の自然や食、工芸などの文化と人間の温かさを継承し、能登のことを愛している人々がいつでも戻ってこれる場所であってほしい、こう答えます。

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