能登の未来

FUTURE

穏やかなで美しい海と祭り、おおらかなみんなのふるさとを未来に

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投稿者

向井沙織

私は能登半島最先端の内側、見附島のある珠洲市宝立町で生まれ育った。今回津波被害を受けた沿岸部からは1kmほどの実家には今は両親が暮らしている。珠洲の内海は遠浅の穏やかな海であり、この内海に津波がくるとは思っていた地域の人は少なかったように思う。私が小学生のころはコンビニもなかった。中高生だった1990年代までの珠洲は、東京に行くにも金沢駅や小松空港まで行かないといけなかった。家族で見附島でキャンプをしたり、祖父母の畑で遊んだりした。都会の友達には驚かれるけれど、友達と海で遊んだり、カラオケに行ったり、時には海のそばの銭湯にも行った。大自然を満喫して育った。大学進学とともに珠洲を離れた(珠洲に大学はないので、進学する人はみな離れる)。カナダのバンクーバーに留学した時、泳げる海やスノーボードができる山の両方が、街の中心から近く、大好きになった。きっと珠洲に似ているからだ。
珠洲では春~秋にかけて各地でお祭りがある。地元を離れた同級生世代も、祭りのために帰ってくるし、友達をたくさん連れてきたりもする。みなそれぞれの地域の祭りに誇りを持っており、自分の祭りが一番(自分にとっては、車輪のないキリコで、最後に海に入ってたいまつを一周する、遠浅の内浦だから可能な宝立七夕キリコまつりが一番)と、喧嘩になりそうになるし、祭りで学校を欠席するのも先生が普通に了承している。2人の娘を珠洲の病院で里帰り出産し、以降、子どもたちを連れて毎年夏に2週間ほど長めに帰省している。毎日のように見附島の海に泳ぎ行き、遊び疲れると母のお迎えの車に濡れたままで乗り込み、そのままお風呂へ。見附島を一周するシーカヤックも楽しい。遠浅で穏やか、綺麗な人が少ない海。混雑する首都圏の海水浴場では遊ぶ気になれない。近年は友達家族を連れて帰っており、両親は、たいしたおもてなしはできないけど、と言いながら、一番よい部屋を用意し、庭でバーベキューや流しそうめんをしてくれた。昨年は大きな新しい炊飯器も購入して待っていてくれた。
この珠洲の夏を一度体験すると、みな珠洲のファンになってしまい、次の夏も一緒に珠洲に訪れるようになる。能登の祭りには「よばれ」の文化があるが、みなを受け入れもてなすことは、珠洲ではよくあることで、自分の家が特別なわけではない。また、父が畑で作った野菜をおすそ分けすると、おはぎやサザエになって返ってくる。珠洲では物々交換だけ暮らしていけるのではないか、とさえと感じる。
これからの珠洲も、珠洲の素朴で美しい海を楽しめる環境、みなが集まる祭り、そして、これらを支える色んな人・ものを受け入れるおおらかな雰囲気のある場所であって欲しい。おすそ分け、およばれの文化も続いてほしい。津波タワーのような施設も必要かもしれないが、友達を安心して連れて帰れるような、里山・里海を楽しむ、素朴なリゾート地として、働く場所を確保し、人口も維持できるようになればよいと考えている。

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