能登の未来

FUTURE

変わりゆく中で、変わらないもの

  • Facebook
  • X
  • LINE

投稿者

又木実信

又木実信(またきみのぶ)さんは能登町白丸の出身。白丸は昔から農業が盛んな地域で、農業が難しい冬の時期は、酒造りのため村の男性はこぞって外に出稼ぎにでる能登杜氏の村。又木さんの祖父や父、又木さん自身も生業としてお酒造りに携わってきた。「共働きだった両親に代わり、祖父母や近所の方たちに面倒を見てもらいました」。海や自然が好きで、白丸の人たちの暮らしぶりに触れながら育ったそうだ。
今回の能登半島地震で白丸を襲った津波は、気象庁によると石川県内で最も高い 4.7m。白丸の実家は津波とその後に起きた火災の延焼によって面影を失ったが、当時、白丸の近くで暮らしていた又木さんや実家の家族は無事だった。 「白丸の海は白砂でエメラルドグリーンの鮮やかな海。天気が良ければ海の向こうには立山連峰も見え、朝日が昇る時間帯は本当に景色が綺麗です。津波が来た以上、海岸には防潮堤が立ってしまうかもしれないし、同じ場所に家を建てられるかもわからないけど、この景色は残していきたいです。100 年後の風景の想像はつかないけれど、どういう地域をつくっていくのか、 自分たちで考えて決められる地域であってほしいと思います。先人たちの精神や今ある暮らしをちゃんと残した結果が活かされる地域であってほしいし、それを繋げていくことによって次の100 年後の人たちがその先を見つめなおす機会が来た時に、その材料がしっかりと残されている地域にしたいと思います」
今後、又木さんは能登地域や能登の事業者の経営支援に携わるという。「これまでお酒造りやメディア運営など、いろいろやってきたけれど、その根底にあるのは全部”能登”。この先も変わらない能登の魅力を伝えていけたらと思いますし、今は少しでも能登の人たちの力になりたいです。震災が起きる前も今も、能登の未来への思いは大きく変わっていなくてとても大切な場所。ただ、今回の震災がきっかけで災害に対して備えることの大切さも学びました。能登の綺麗さ、自然の美しさ、人の暮らしの面白さに加えて、自然の怖さ。ちゃんと備えることの大切さも意識して伝えていきたいです」
一方で生活拠点については今回の震災の経験や家族のこと、ライフスタイルの変化も柔軟に考え、能登と能登外、2 拠点での生活も検討しているという。 「何が正解というのは無いと思いますし、その形もそれぞれだと思います。それでも畑や海でのんびりしたり、能登の風土に流れる時間の中で、大切な人たちと過ごす時間を大事にし
ていきたいです」 “復興”とい言葉が良いのかはわからないけど、今は自分にできることをしっかりとやっていきたい。ゆくゆくは自身を見守ってくれた地域の人たちのように、この土地で育つ子供たちを見守っていけるようなおじいさんになれたらいいなぁ、と笑う又木さん。
100 年後には自身の姿はないであろうが、50 年後、いちど復興を遂げたのちの白丸の土地で孫や白丸の子供たちを明るく迎える又木おじいちゃんの姿を白い砂浜と青い海、その向こうの立山連峰の景色とともにぼんやりと思い浮かべてみた。

  • Facebook
  • X
  • LINE
TOP