能登の未来

FUTURE

自然と共生し、若い人が楽しめる住みやすい町に

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投稿者

日吉智

日吉智(あきら)さんは1912年(大正元年)より輪島朝市通りに蔵を構える日吉酒造店の5代目蔵元。代表銘柄「金瓢白駒」や「おれの酒」など地元の人に愛され、また朝市を訪れる人々を迎える酒を造ってきた。
元日の大地震。朝市通りで起きた大規模火災からは小道1本を挟んで奇跡的に難を逃れたが、自宅を兼ねる酒蔵は土 蔵が崩れ日本酒の製造は不可能となった。「最初の揺れの時は家族で近所の神社に初詣めぐりをしていた時に起き、念のため蔵を確認しに行こうと目の前まで戻った時に 2 度目の本震が起きました。幸い自分たちの周りに瓦が落ちてくることなどはなく無事だったのですが、目の前で蔵が崩れていく姿を長い揺れの中、見ていました。そのあと避難先で朝市通りが火事だと聞き、いちど夜の11時くらいに確認しに戻ったんですけど、その時の火の勢いはもう止まるような状況じゃないなと、そこである程度の覚悟をして必要なものだけを取り出して避難先に戻りました。でもそのあと、風向きが変わりうちの手前で火事が止まったみたいです」
実は日吉酒造店が奇跡的に火災から難を逃れたのは2度目なのだという。いちどめは昭和30年頃、その時は今回と反 対側の方向から炎が蔵を襲ってきたが、すぐ隣の建物で鎮火したのだという。「2 度も火事から残ったっていうのはこの先も酒造りを続けていけ、ということなのかなと思っています」
輪島での日本酒の製造は一旦、不可能となってしまったが、震災直後から小松の酒蔵、加越から声掛けをもらい、加越の設備を借りての酒づくりを2月下旬より開始した。今後は県外の酒蔵とも共同醸造や委託醸造を行い、日吉酒造店の 酒を途切れさせることなく活動を続け、同じ地での再興を目指すとのこと。

日吉さんが描く100年後の輪島とは
「100 年後、自分は絶対生きていないんですけど、能登の自然と共生し、かつ観光などで外から人が来て楽しめるまちであってほしいなと思います。輪島のまちを新しく作り直していくという上では若い人たちが楽しめる場所になってほしいと思う。
これからの能登を引っ張っていく人たちは若い人たちなわけで、さらに今後は地元の人間だけじゃなく外からの力も必要になってくる。そういった意味では外からの人も輪島に来て何かしたいと思えるような魅力ある形にしていかなくてはいけないと思うんです。そこに対して自分は何ができるか、というと今はぱっと思いつかないんですが、若い人たちをバックアップできる立場になりたいと思っています。蔵については再興できたとしても、無理に自分の子供が継がなくてもいいと思っている。ただ地域に愛される形で残って欲しいな、と思っています」
日吉さんが蔵を再興させたのち、100 年後であれば次の次、7 代目蔵元の時代ぐらいだろうか。新しく移り住んだ人、土地に残った人、さまざまな人とともに朝市通りを訪れる人々にお酒を振る舞う光景が目に浮かんだ。

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