能登の未来

FUTURE

100年後に、新しい形の朝市を継承したい

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投稿者

南谷良枝

 今回、新しく造った加工場も、実家も全てなくなりました。全国に継続して購入くださってる家族同然のお客様に、お届けできる品も全てなくなりました。能登空港にお迎えに行ったり輪島の街を案内させていただくことも、もうできない。その現実を目の当たりにし、『もうダメかもしれん』と、思ったのは紛れもない事実です。が、こうして2次避難で金沢に出てきて、唯一できる塩辛を避難してきた仲間と共に作って出張朝市の場で販売しながら、一日でも早く商品を作りたくてうずうずしてる自分がいることに気付くと、やはり諦めない!という思いが湧き上がってくるのです。出張朝市も、はじめは5人からでした。当時声をかけても、もう諦めてしまったという方も多く、それでも伝え続けながら成功例を作れば、思いが変わる人もいるかもと動き、第一回の出張朝市は大盛況。テレビでも放映され、それを見て、仲間に入りたいと言ってくれる人も増えました。最近は色々な人から応援の声を、かけてもらえるので、マスコミさんへの対応は、なかなか大変なものもあったけれど、一社も断らず、能登のためと対応した成果かなと思っています。
 なので、私が100年後に残したいのは、やはり、朝市ということになります。去年まで、ずっと続いてきた輪島朝市。多分、出店者の平均年齢は70歳くらい。その仲間の中に、命を落とした方もおられるし、もうこれを機に、お店をたたむ人もいます。輪島朝市は、商店街と露店が協力しあって仲良く続けてきたのが特徴です。なのに今回の震災で輪島がほぼ全滅し、潰さなきゃならない家も多くあります。まだまだ悲しみの中、しんどい方もおられるのを分かった上で、私個人は、なくなってしまったものをくよくよ思っても仕方がない、これを無理にでもチャンスと捉えてまちづくりから新しくやり直していきたいです。今、再建の道を市や県も動いて模索してくれていると聞きます。なので、今、何とか踏ん張って立てる人がそれぞれ個性的な思い思いの建物を建て、そこで飲食・野菜・海産などなど販売をして観光客を呼び戻していく。他地域の商店街も人は減ってるので本町だけでなく他の商店街とも協力して一堂に会し、奥能登全て『ワンチーム』で、何かできたらなと思っています。商品や人情は昔のまま守りつつ、外観や業種・年代は変化を受け入れ、いや、積極的に変化させつつ、あの、私が若い頃に見てワクワクした多くの人で賑わう朝市・まちにしたいのです。
 当時、私と数人が若手と言われるくらいの朝市。今、娘が加わって、ダントツの若手になりました(笑)。その娘と本町商店街の若手、そして商店街以外のところからも若者が入ってくれて、ここから復旧・復興していくための意見を出し合い、市長や県知事に伝えられるよう動いていく会が立ち上がっています。彼らと、それを応援するものたちで、ここからの輪島は若者が住みたいまちでないと、いけないと思うと、伝え続けて、ありがたいことに今、バックアップしてくださる中高年の方も出てきました。まだまだ復旧・復興まで5年以上かかると言われる輪島。2次避難先での生活に少し慣れて、子供の学校や仕事の都合で輪島に帰らないことを選択する住民も少なくありません。その方々が新しく変わっていく輪島を見ながらいつか帰りたいと思い時期が来たら帰ってきてくれる輪島を作っていきます。
 そして、同時に、できるかできないかの保証もない中、いしる ひと樽30万円オーナーにグループで、申し込んでくださっている大切なお客様方。クラウドファンディングにご支援いただいた多くの支援者の方々。皆さんに一日でも早く南谷良枝商店の商品をお届けしたいです。
 今回娘が「母ちゃんが今までやってきたことが良かったからこうやって皆んなが助けてくれるんやね」と言ってくれました。母の背中をしっかり見続けてくれる娘に感謝しながら「あなたも、そういう風に自分ができることをしてみんなを助けて行かなくちゃね」と伝えました。すでに娘はそれを充分感じて、想っているからこそ順風ではない道を進み始めているのでしょう。

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