能登の未来

FUTURE

見附島をもとの姿に戻さない

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投稿者

宮野貴史

珠洲を離れて30年。お盆や正月に帰省して父母には会うものの、近所にいる先輩に会うことはなかった。祭りやヨバレにも出る機会がなかった。自分の中で珠洲は昔「いた」場所であり、今の私とは距離のあるふるさとだったからだ。それが1月1日の震災で三崎、引砂の集会場に集まり30年ぶりに地元の先輩やおばちゃん、おっちゃんと会い、生きるために必死に5日間を共に過ごして、私の心の底から痛切な「当事者意識」が芽生えた。東京の家族の元に戻る時には父母を残して帰ること、ふるさとを離れることの悲しさを強く感じた。この未曾有の災害でやっと私の「当事者意識」が動き出したのだ。そして、私がここまで強く珠洲のことを想う背景には、私を18年間育ててくれた「人」と「街並み」と「風景」があると感じた。

そんな私が提案したいのは、見附島を元通りにして懐かしむのではなく、今の姿で残すことだ。地震で崩れた見附島の今の写真を見た時に、一瞬悲しい感情が湧き出たが、そのあとに不謹慎だが「ほっこり」した気持ちになった。ちょこんとした佇まいと、やっと残った木々たちを見て「かわいい」と感じてしまった。鋭角的で「カッコいい」の代名詞だった珠洲のシンボルが「シン見附島」にキャラ変したのだ。そして、その時に「過ぎ去った時間は戻らないし、戻してもいけないのだな」と痛感した。だから、コケティッシュなシン見附島をそのままの姿で残しながら、ゆるキャラも作って珠洲市を盛り上げたい。

今はまだ生命の危機との瀬戸際であることは理解しているが、珠洲の冬から春が訪れる時の浄土感
はどこにもないと感じている。だから、あえて大好きな珠洲の5年後を語らせてほしい。珠洲市では、こんなことも実施していきたい。

◆珠洲市との「関係人口」を増やす
繋がりのある人を貪欲に開発していく。珠洲市に来てもらい、人や風景、痛手の残る街並みから珠洲の魅力や地震の脅威を感じてもらう。また、珠洲市出身者には無料で能登空港往復チケットを配布し、まず来てもらう。そして「当事者意識」を感じてもらい、エバンジェリスト(語り部)になってもらう。
 
◆ファンベースコミュニティを形成する
東京、大阪、仙台、ロンドンなどに出身者をベースとした珠洲市のファンベースを作りたい。
   
◆ハイブリッド型ライフスタイルの発信拠点にする
余震が収まってからであるが、東京から飛行機で50分の立地を活かし、SaaS系企業の活動拠点としての誘致活動に注力する。
※パソナグループの淡路島構想がモデルケース

珠洲市の出身者も思いはいろいろ。珠洲が嫌いな人もいる。ただ、今一人でも「当事者意識」を持った仲間を集めることが、次への展開に繋がるのではないかと思う。

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